高校世界史「宗教改革」① ルターと諸侯、旧教と新教
1517 年、マルティン=ルターが宗教改革の始まるきっかけをつくった。宗教改革とはなぜ起きたのか。また、宗教改革による新旧教徒の戦乱の結果どうなったか。実際に授業したものをブラッシュアップし、再現する。

1.教科書の構成
①信仰の刷新
②ルターと諸侯
③カルヴァンとユグノー
④イギリス国教会
⑤カトリックの改革
2.授業の展開
[①:信仰の刷新]
それまでのヨーロッパ史の世界は、ある宗教が支配した世の中でした。
復習です。漢字2文字で何といいましたか?
中世
中世を支配したのはカトリック教会でしたね。しかし、中世末にはカトリック教会の秩序はゆらぎ、リーダーである教皇は権威を失っていました。しかし、人々の信仰心は強く、教会の改革を求める声が各地であがっていました。
この見開き2ページでは、そんな時代のキリスト教の改革について見ていきます。
[②:ルターと諸侯]
時代は 1500年代。
1500年代。何世紀ですか?
16世紀
この時期の動きを見ていきます。16世紀初めのこと。カトリック教会のリーダーである教皇は、教皇のいる御所・聖堂を改築しようとしていました。
さて、なんという聖堂ですか?
聖(サン)ピエトロ大聖堂
しかし、お金が足りません。もしみなさんが教皇だったらどうしますか?
これはその時の様子を表した絵です。

教皇は必要なお金を集めるため、あるものをたくさん売り出しました。
それは、なんだと思いますか?
教科書から見つけて、ノートに書きなさい。
さて、何を売ったか。言ってごらん。
贖宥状(免罪符)
免罪符とはなんですか?
(例)罪がゆるされる札
買えば罪がゆるされる。これについて感想を。
これに対して意義を唱えた人物がいます。誰ですか?(絵画を示す)
ルター
ドイツの人物です。ルターは、九十五カ条の論題という意見文を発表して、この販売に異議をとなえました。
ルター、九十五カ条の論題。どちらも大事。ノートに書きなさい。
ルターは言いました。「人は信仰によってのみ救われる」と。
これによって始まった改革。何といいますか?
宗教改革
西暦年も大切です。何年ですか?
1517年
これもノートに書きなさい。
ルターはどうなりましたか?
(例)教皇によって破門された。
ルターは皇帝からも見放されました。しかし、当時の社会で広まりつつあった印刷物などによってルターの考えは広まり、教皇や神聖ローマ皇帝から自立しようとはかっていた諸侯はルターを支持しました。(※教科書を読み上げる)
このように元々あったカトリック教会と新しいキリスト教との間で対立が起きました。
新教は、“抗議する者”“protest”する者の意味です。カタカナ語では何とありますか?
プロテスタント
このカトリックとプロテスタントが争っているときに、ある事件が起きました。ドイツ農民戦争といいます。指導者はミュンツァー。ミュンツァーはルターの宗教改革を支持し、自らも教会の腐敗を批判していました。また、教会腐敗にとどまらず、領主による収奪が強まって苦しんでいる農民の救済をめざし、領主と戦うため、農民をひきいて立ち上がりました。
この農民戦争をみたルターは、領主と農民。最初は農民に同情をしました。しかし、のちに諸侯側に寝返り、農民戦争の鎮圧を支持します。
なぜルターは鎮圧を支持したのでしょうか?
予想を隣同士で言い合ってごらん。
ルターは、カトリック教会の腐敗には抗議しましたが、諸侯たちのサポートを受けていたため、身分制度などこれまでの秩序を破壊することには反対だったと言われています。
その後も、新旧両教徒のあいだの戦乱は30年以上続きました。
最終的にはどうなりましたか?
(例)皇帝は諸侯にカトリックかプロテスタントかを選ぶ権利を与えた。
この後の項目では、カルヴァンという人物による改革も始まります。