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グーグルアースを活用した岩倉使節団の授業

明治時代。岩倉使節団。かれらが欧米で見聞したことが、日本の国づくりに反映していく。

グーグルアースのkmzファイルを添付しています。必要に応じて活用してください。
http://homepage2.nifty.com/TAKASI-YOSIDA/iwakura.kmz
 kmzファイルには、岩倉使節団が視察した欧米の国々の情報があります。使節団の語りの部分にあわせて提示ください。また「堂々たる日本人」(祥伝社 泉三郎)をご一読ください。使節団の目的や活動の様子がわかります。また、貴重な銅版画が数多く掲載されています。子どもたちに見せてやると効果的です。

指示 . 1

1871年 明治維新の3年後、岩倉具視を全権大使とした使節団を欧米に派遣しました。岩倉使節団といいます。どのようなメンバーが派遣されていますか。教科書や資料集でで調べてノートに書きなさい。

・岩倉具視 木戸孝允 山口尚芳 伊藤博文 大久保利通  (政府代表48名)
  ・津田梅子(留学生60名)

指示 . 2

使節団は欧米12カ国を回りました。教科書で調べてすべての国名を書きなさい。

1アメリカ 2イギリス 3フランス 4ベルギー 5オランダ 6ドイツ 
 7ロシア  8デンマーク 9スウェーデン 10イタリア  11オーストリア
 12スイス

指示 . 3

この使節団の目的は何ですか。ノートに2つ書きなさい。

・欧米の進んだ政治や産業を視察する。
 ・不平等条約の改正を打診する。(教書資料集に掲載されていない場合が教師が伝える)

説明 . 1

ところが、不平等条約の改正は、すぐにあきらめてしまいました。どうしてなのか。これについては、後で考えてもらいます。

◇グーグルアースを使って視察した国を次々に示していく。

◇サンフランシスコ グランドホテル(アメリカ)

説明 . 2

一行がとまったホテルです。5階建てです。蛇口をひねると水が出、エレベータが設置されていました。使節団は大変驚きました。

◇ワシントン

説明 . 3

続いて、首都ワシントン。ここで一行は、国会議事堂と開催中の国会を見ます。日本人が初めて見た民主主義です。

◇ロンドン

指示 . 4

続いて、イギリス。当時は大英帝国と呼ばれ、世界中に植民地をもっていました。使節団は、イギリスで何を見たと思いますか。思いつくものをノートに書いてみなさい。

・立体交差。地下鉄。工場群。

◇続いて、大久保利通の手紙を見せる。

「製作品は皆他国より輸入して、これを他国へ輸出するものなり、製作場の盛んなることはかつて伝聞するところより一層まさり」

発問 . 1

大久保利通の手紙です。イギリスがどのようなことをして国を成り立たせているかをずばり、見抜いています。イギリスは、何をして利益を上げているのですか。

・加工貿易

◇フランス、ベルギーなどの国を次々と見せていく。kmzファイルではEUと表示。訪問順は次の通り(①フランス②ベルギー③オランダ④ドイツ⑤ロシア⑥デンマーク⑦スウェーデン⑧イタリア⑨オーストリア⑩スイス)

説明 . 4

岩倉使節団にとって最も興味があったことは、それぞれの国がどのようにして国を成り立たせているかという点でした。フランスは、工芸芸術の中心だと分かりました。オランダは海運を中心とした商業で国を成り立たせていました。スイスは観光の国です。そして、新興国ドイツは軍事力の増強に力を入れていました。それから、ロシア。日本がおそれていた国です。しかし、皇帝の力は強いが農業を中心とした遅れた国だということが分かりました。

◇シンガポール、サイゴン、香港、上海

発問 . 2

帰りに、シンガポール、サイゴン、香港、上海を見て歩きます。これらは、すでに欧米の植民地でした。ここで一行は何を見たと思いますか。

・各地が欧米列強に餌食にされている姿。

発問 . 3

最初の問題にもどります。なぜ、不平等条約の改正をあきらめたのですか。

・欧米との力の差があまりにも大きかったから。

発問 . 4

岩倉使節団の欧米を見て歩いた一行は、日本のこれからの設計図をイメージしました。日本を何によって成り立つ国にしようと考えたと思いますか。

・農業国から工業国にする。

発問 . 5

ところが、日本に帰ったら大変なことになっていました。征韓論が巻き起こっていたのです。征韓論とは何ですか。教科書で調べてノートに書きなさい。

・朝鮮を強引に開国させようとする考え方

説明 . 5

朝鮮、中国、日本は、古代から深い関わりを持っていました。特に中国は、古くから日本のお手本でした。一方の中国も中華思想といって中国は世界の中心であり、周囲の国はすべて野蛮な国であるという考え方をもっていました。ですから、日本や朝鮮は、中国の皇帝にお願いをして「国王」の名前をもらっていました。志賀島で発見された金印もその1つです。ところが、日本は聖徳太子の時代に、中国との関係を変えます。お互いの国は対等であるとしたのです。その後、明治維新をへて日本は急速に近代化、つまり西欧化していきます。
 一方、朝鮮や中国はこの近代化に遅れます。日本は、朝鮮には早く近代化してほしいという願いをもっていました。朝鮮がしっかりしていないとロシアから侵略を受けるおそれがあるからです。そこで、明治維新をなしとげた日本は朝鮮に開国を迫ります。ところが、朝鮮にしてみれば、中国に仕える国の1つであった日本が無礼なことを行ってきたと言う態度で、とりあってくれません。
  そこで、強引に開国を迫ろうという征韓論が出てきたのです。

指示 . 5

欧米からもどってきたメンバーは征韓論に強く反対をします。理由を考えてノートに書きなさい。

・国力の充実がさきだと考えた。

説明 . 6

初期の明治政府をリードしたのは大久保利通です。彼は岩倉使節団の一員として参加し、日本を一流の工業国にしたいとイメージしました。殖産工業政策は彼の立案です。そして、現在、日本は世界トップクラスの工業国として栄えています。