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終戦直後を授業する

終戦直後の日本で何を教えるか。「日本の民主化改革はGHQの指示によって行われた。」とうことである。現在の日本は、ここからスタートしたのである。

正進社の社会科資料集に掲載されている終戦直後のイラストを提示した。

◇体験の層を厚くする
次の指示を出し、絵を読み取らせていき、終戦直後の日本の様子についての情報を蓄積させる。

指示 . 1

この絵を見て、分かったこと気がついたこと、思ったことをノートに書きなさい。

◇できるだけ多くの子どもたちに発表させる。その後、子どもたちの発言をとらえて以下のように展開していく。

①闇市と普通の市はどう違うのですか。
②買い出しは違法だったのですか。
③空き地ではほかにどのような作物を作っていたと思いますか。
④戦時中と戦後すぐでは、どちらの方が生活が苦しかったと思いますか。
⑤戦後すぐの方が食料が不足した理由を3つ考えなさい。
⑥あおぞら教室は午後も授業があったのですか。
⑦バラックとはどういう意味ですか。
⑧バラック小屋には何年ぐらい住んでいたのですか。
⑨ジープに乗った兵士は、どこの国の兵士ですか。
⑩アメリカは何年間ぐらい日本を占領していたのですか
⑪彼らは日本に対してどんなことを命じたのですか。

◇戦後の改革について考えさせる

発問 . 1

アメリカの指示によってさまざまな民主改革が行われたことについてどう思いますか。

「賛成」「反対」の立場で討論をさせる。

以下、教材研究の一部として読んでいただきたい。

◇青空教室
 日本各地で行われていた。沖縄、高知、愛媛等。雨が降ると授業は中止。午後からの授業もない。先生も子供も食糧の確保が第一だった。

◇闇市
 大きな都市にあった。法定価格の数倍から数十倍の値段で日用品や食料を販売していた。闇市から得る栄養が60パーセント近くになっていたという統計もある。違法だが、警察も大目に見ていた。やくざなどが、関わっていたところも多い。山口判事は、闇市からの食料を一切口にせず、餓死するという事件も起きている。

◇アメリカ軍
 約7年間日本を占領していた。指示をしながら日本を動かすという間接統治。統治の方針の第一はアメリカにとって都合の良い国にすることである。民主化もその流れの中で行われたことである。GHQの指示には逆らえなかった。また、報道統制行いアメリカにとって不都合な原爆の情報などは、すべて伏せられた。餓死者も検閲対象だった。さらには、50万人にも及ぶ占領軍の滞在費は、日本国政府が全部支払っている。国民を飢えさせながら占領軍には、裕福な生活させていたのである。

◇買い出し列車
 車両が少なく切符を得るのが大変だった。屋根の上は不正乗車。福島、群馬、栃木などの農家から食料を買った。もちろん違法であった。苦労して手に入れた米を摘発され泣き崩れる女性の写真なども残っている。食料を得るために大切な着物などを次々に交換したためタケノコ生活とも呼ばれた。食糧不足を象徴する出来事である。

◇バラック
 トタンやありあわせの木材などで作った建物。違法な建物も多かった。3,4年程度暮らしていた。バラック小屋に住めたのは、まだましだったという証言も数多くある。

◇空き地のかぼちゃづくり
 サツマイモ、トウモロコシなどがよく作られた。国会議事堂前も芋畑だった。学校の校庭や電車通りも芋畑だった。

*参考文献「敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー 
        「占領と改革」雨宮昭一

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