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幼児は考える力をもっている     斉藤孝子

幼児期における心の教育の重要性についての解説。

1 絵を見て自ら考える

東京こども教育センターでは、幼児の心を育てる教材『シングルエイジのためのきららこころのシリーズ・社会生活編』を使い、社会性を身に付け、人としての在り方や生き方を学習している。
 社会性を身につけるために作成された市販のワークは、現在数多くある。しかし、これらのワークの特徴は、「いけないことをしている子どもに×をつけましょう」というもので、×がつけられると大正解となり終わってしまう。それでよいものなのだろうか?私はプリント的に処理される問題ではないと考えられる。どうしていけないのか?ということを話しあっていきたい。そして、その中で自ら考え気づき、判断し行動できる子ども達にしたい。このような思いがあって作成されたために、当センター教室『社会生活編』は、絵だけの設定である。その社会生活編を使って、年長児に『病院の待ち合い室での過ごし方』というテーマで授業を行った。その実践を報告させていただく。
 年中児に行うとしたら、「ここはどこでしょう」という発問から入ることと思うが、年長児だったのであえてこの発問からは入らず、いきなり本題に入ることにした。

ここは、病院の待ち合い室です。いけない子どもがいますね。その子ども達全員に×をつけましょう。

×を3個つけた子どもと4個つけた子どもとにわかれた。
 黒板に拡大した絵をはり、3個つけたという子どもにまず×をつけてもらった。他の子ども達には、「自分と同じ場所かどうかよく見ててね。」と話した。
 ×をつけた3箇所は、①ボールを投げられている男の子②追いかけっこしている子ども③椅子に寝転がっている子どもであった。
 4個つけた子ども達は、追いかけっこをしている子ども達1人1人につけていた。
 ここで、クラス全員が共通認識を持つことができた。
 幼児でもいけない子どもを見つけられる目を全員もっている。次にどうしてかというところに踏み込んでいった。

追いかけっこをしている子ども達は、どうしていけないのかしら?

挙手発言させた。
・お母さんに怒られるから。  ・お父さんに怒られるから。   ・人にぶつかっちゃうから。

人にぶつからないようになら、追いかけっこしてもいいよね?

・ダメ!ほこりがたつから。  ・うるさくって病気の人が困っちゃう。静かにしていなくちゃいけないよ。
・他の人に失礼だよ。     ・みんなに迷惑をかけるから。
 少しゆさぶりをかけたことによって、どうしていけないのかということを深く考えていった子ども達であった。

椅子に寝転がっている子どもはどうしていけないのかしら。

・幅をとっている。ちゃんと座れば、もう一人座れるでしょう。  ・行儀が悪いから。
・足を出していると、あとから来た人がひっかかって転んじゃう。 ・人の洋服に汚い靴下があたるから。
・座れなくても、もし病気の人がきたら困る。
 ボールを投げている子どもについては、同じ発問の切り口ではなく、次のように話した。

そうか。追いかけっこしたり、寝転がっているとみんなが教えてくれたように周りの人に迷惑をかけることになるのね。でも、ボールをなげている人は周りの人に迷惑かけていないと思うよ。だって、ボールを上に投げて取っているだけだもの。ちょっとしか上になげていないから、絶対に人にぶつかることはないと思うの。それに、1人で遊んでいるから騒いでいないもの。先生の意見に賛成の人は○、反対の人は×を書いてね。

○が2人。他の子ども達は×を書いた。
・ボールはお外で遊ぶものでしょう。ちょっとでも投げたらダメ。お外は広いところでする。
・ちょっとしか投げていなくても、人にぶつかっちゃうこともあるから。
・近くに看護婦さんがいるから、危ない。
 この意見を聞いて、○の2人は×に変えた。

どのようにして待つのか一番いいかしら。

・本とか折り紙とかを持って行く   ・小さな声で話して待っている
「周りの人に迷惑がかからないように静かに待っていることが大切なのね」と話したあと、最後に次の発問をした。

病院以外で騒いではいけない場所はどこですか。

・としょかん・電車 ・レストラン ・劇場 ・結婚式の所 ・発表会 ・お寺  ・瞑想の時  ・バスの中 ・映画館
・デパート ・タクシーの中 ・廊下  ・エレベーターの中などたくさん出てきた。
「騒いではいけない場所は、病院だけでなくたくさんありますね。どんな時でも周りの人のことを考えられるようになればいいですね。」と話し、授業を終えた。
《授業を終えて》
 クラス全員の子ども達がいけない子どもを見つけられた。この年齢の子ども達は、すべての場面においてこの理由が一番
多い。
 年齢が低いために、まだ本当の理由はわからないからだろうか。私は、そうではないと考える。今回の授業のように少し
ゆさぶりをかけていくことによって本当の理由が見えてくるからである。
 もし、全てがお母さんに怒られるからという理由の中で片づけられているとしたら、これは恐ろしいことである。いつも
いつも責任転嫁の言葉で逃げられていたら、大きくなったときにお母さんが見ていない場所でなら、何をしてもいいという
ことになりはしないだろうか。
 だからといって、お母さんに怒られるからと発言した子どもが悪い訳ではない。そのように発言をさせてしまった周りの
大人の責任だと思う。
 今回の病院の待合室で、もしわが子が追いかけっこしていたとき、何と注意するかという態度が重要であると考える。意
外と「看護婦さんに怒られるからやめなさい」等と言う場合が多いとように思う。また、電車に乗って騒ぐ子どもに対して
「おまわりさんがくるよ」と言っているお母さんを見かけたことがある。
 この社会生活編を通して、どのように大人は接していったらよいかということをお母様方に呼び掛け、一緒に考えていた
だいている。お母様方と一緒になって教育を考えて行かないと効果はあがらない。
 また、授業で立派な意見が言えたからといって、実際の場面で行動できるかというとそうはいかない。向山洋一氏がSAE
(シングルエイジ教育研究会)セミナーで次のように話された。
「授業の組み立てには、段階がある。最初は気づく、見つけられるという段階、次のどうしていけないのかを自分の子の言
葉で話せる段階。理解するというのは、異なる事態があって、それでもこれはいけないんだということを認識すること。反
対の意見とかゆさぶりを通過させることである。さらに、態度にあわせるというところまでの確認が必要である。」
 病院での待ち合い室での過ごし方の授業が生活の場面で少し生かされた個どの作品である。
   8月26日   はしなか れな(5歳)
 れなとおかあさんで、びょういんけんさにいきました。あさはやくいったはずなのにおおぜいのひとがいて、れなは43ばんめでした。びょういんにはいろんな子がいて、びっくりしました。おかあさんに「きららこころシリーズとおなじだね」といったらおかあさんは、おどろいたかおで、「れなちゃん、よくおぼえていたわね。すごいわ。でも、どこがおなじなの。」といいました。れなは「くつをぬいでおいすの上であそんでいる子もいるし、さわいでいる子もいるし、おかしをたべている子もいるし、わがままをいってないでいる子もいるでしょう。」といいました。そしたら、おかあさんも「ほんと、きららこころシリーズといっしょね」といってふたりでわらいました。れなは、はやくなまえをよんでほしいから、きららこころシリーズのよい子みたいに、ごほんをよんでまっていられました。

まだまだ始まったばかりの幼児教材『社会生活編』である。幼児の心の教育を目指し、実践を続けたい。

2 子どもの作品をつかって考える

子どもの作品を教材をとして使うことがある。詳しく説明するよりも、読むだけで伝わるものがあるからだ。それはなぜなのか。1つは、事実であるということ、2つ目は、同年齢の子どもであるということだと考える。作り話をしても子ども達への心へは届かない。事実と言うところに迫力がある。また、同年齢ということで、同じ立場に立てるのではないだろうか。年中児の実践を報告させていただく。

9月5日

きょう、ようちえんのバスからおりて、おかあさんとかえろうとしたら、おかあさんは、きゅうにとまってしまいました。まえのほうから、おばあさんがゆっくりあるいてきました。つえをついて、すこしこしをまげています。じめんをみるようにして123、123ってあるいてきました。「ちょっととまっていようね」とおかあさんがいいました。わたしはおばあさんがとおりすぎるまで、おかあさんの手をギュッとにぎってまっていました。すごーくながくとまっているようにおもいました。そしておかあさんが「もうあるいていいわよ」といいました。わたしは、おかあさんがやっぱりやさしいなぁとおもいました。

どうしておかあさんは、止まったのでしょう。

・おばあさんにぶつかっちゃうから。  ・つえをついているから邪魔したらいけない。
・腰が曲がっていると歩きにくいから。 ・ころんじゃったらかわいそうだから。

おばあさんのためにできることってあるかしら。

・荷物をもってあげる。  ・肩をもんであげる。
・電車の中で席をゆずってあげる ・手をつないで歩く
 なんとも幼児らしい発言である。特別すごいことをする必要はまだないと思う。自分のできることを考え行動へうつしてくれたらと願っている。
 最後に社会生活編を見せた。
 見たとたん、「代わってあげなくちゃいけないよ。」という子ども達の声。

何と言って、代わってあげますか。

・どうぞ座ってください。
 席をゆずることがわかっていても、勇気がないと伝えることはできない。実際に、声をかける練習を行った。勇気を出して言えるようになった子ども達が、実際の場面でもできることを願うばかりである。