「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の授業
小学6年国語の俳句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の授業です。(TOSS栃木ML推薦) No.6645940 http://blog.goo.ne.jp/kazukimatu/e/8004cbed794520d778b578e6063e5607

1 教材について
「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きがついている。
明治二十八年の作である。
二句一章の句である(「柿食えば / 鐘が鳴るなり法隆寺」)。
「柿」、「鐘」、「法隆寺」という意外な組み合わせの妙がある。
2 授業の流れ
(1)音読
各自で音読させる。
この俳句を、自由に読んでごらんなさい。
読み方の確認をする。以下の3通りの読み方が出ると予想される。
①「柿食えば / 鐘が鳴るなり / 法隆寺」
②「柿食えば 鐘がなるなり / 法隆寺」
③「柿食えば / 鐘が鳴るなり 法隆寺」
(2)季語・季節の確認
季語は、何ですか。
「柿」
季節は、いつですか。
「秋」
(3)時間の確認
「柿食えば 鐘が鳴るなり」の部分だけを取り上げて考えます。
鐘が鳴ったのは、いつですか。
以下の2通りの考えが出ると予想される。
① 「柿を食べた後」
② 「柿を食べている時」
次に、さらに、詰めて確認する。
鐘が鳴ったのは、「柿を食べた後」なのですか。「柿を食べている時」なのですか。
意見が割れるようであれば、理由を書かせ発表させる。意見がまとまるようであれば、教師の意見を簡単に述べるに留める。
(4)河東碧梧桐の「代案」との比較・検討
正岡子規の句に対して、河東碧梧桐という俳人が、次のような句に直した方がよいと、次の俳句を示しました。
「柿食ふて居れば鐘が鳴る法隆寺」(河東の案)と「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を比較してみて、どんな違いがありますか。
意見を書けた子から発表させる。
① 「柿を食べた後」と「柿を食べている時」の違い。
② 「五・七・五」のリズムに合っている、いないの違い。
「柿食ふて居れば鐘が鳴る法隆寺」(河東の案)と「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を比較してみて、どちらの俳句の方が、文学的に優れていると思いますか。
どちらかの俳句を選ばせる。そして、その理由を書かせるようにする。
(5)正岡子規の「写生」の説明
正岡子規が、河東碧梧桐の意見に対して、答えています。「これは、尤の説である。しかしかうなるとやや句法が弱くなるかと思ふ」(『病床6尺』)子規は、当時作られていた俳句(月並俳諧)に対して、「写生」という考えを持ち込みました。
・月並俳諧→見立てや言葉の面白さだけの通俗的な俳諧
・写生→目に映ったままを画面に写す。それによってそのものの存在感、生命感を表現する
子規の次の文章を、引用する。
「或る景色又は人事を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して読者をして己と同様に面白く感じせしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず只ありのまま見たるままに其事物を模写するを可とす。」(『叙事文』明治三十三年)
【引用・参考文献】
『正岡子規集』(明治文学全集)『柿食ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店)、『名句鑑賞辞典』監修 飯田龍太、稲畑汀子、森澄雄(角川書店)、『俳句文法入門』石原八束監修(飯塚書店編集部編)、『知っ得 俳句の謎 近代から現代まで』(学燈社)、『小学6年 向山型国語の発問 つくり方・使い方小事典』伴一孝編(明治図書)