ヒーローの生き方から原理・原則を抽出する
ヒーローから生き方を学ぶ道徳実践です。
原実践 渡辺尚人 (コンテンツ代行 吉谷亮)

ヒーローの生き方から原理・原則を抽出する
原実践 渡辺尚人氏
1 真摯さが感動を生む
人を感動させる生き方には、一つの共通点がある。
それは「真摯」ということだ。そして、真摯さは努力に支えられている。
つまり、人を感動させる生き方をしている人を仮にヒーローと呼ぶのならば、その第一条件は「努力に支えられた真摯さ」になるだろう。
だが、まだ高校生だった頃の私には、そんなことが分からなかった。
今から三十年前、高校生の私が嫌いだった言葉に、「努力」と「根性」があった。青年期特有のプライドと潔癖さが、汗臭い努力や根性を否定したのである。
努力や根性の否定は、同時にその対極にある華麗なヒーロー、つまり天才たちへの憧れを大きく育むことになった。凡人の努力を軽々と超えていく天才たちは、比類なき美しさを体現しているように見えた。神が与えた、希少で貴重な能力は、芸術作品をも遙かに凌駕していると私には思えた。
1972年、ミュンヘン・オリンピック。
そこでは何人もの天才たちがきらびやかな才能を発揮し、世界中の人々を興奮の渦に巻き込んだものだった。
参加した全種目で計七個の金メダルを獲得したアメリカ水泳界の星、マーク・スピッツ。男子の体操で見事に「月面宙返り」を決めた塚原光男。女子体操で超難度の技を連発した、旧ソ連のオルガ・コルブト。日本の男子バレーボール界に初めて金メダルをもたらした、名セッターの猫田に大砲の大古、横田、そしてセンタープレーヤーの森田。
彼らは、まさに見る人を感動させるヒーローだった。
ミュンヘン・オリンピック当時高校二年生だった私は、深夜までテレビにかじりついて彼らの華麗なプレーに酔ったものだった。翌日には定期試験が控えていたが、試験が赤点でも構わなかった。今、この瞬間に最高の輝きを放つ天才たちの姿を目に焼き付けておきたかったのである。
とりわけ強烈な印象を私の脳裏に刻んだのは、バレーボールの準決勝で、ブルガリアをフルセットの末に破った試合である。大古とブルガリアのエース、ズラタノフのスパイクの打ち合い、森田の一人時間差攻撃、南の絶妙なフェイント。試合の山場は、今でも思い出せるほどだ。日本時間の深夜二時まで続いたこの試合は、私を虜にした。
それは、多くの友人たちも同様だったようだ。あのころの私たちは、眠い目をこすりながら試験を受けたものだ。
定期試験を実質的に放棄させるだけの魅力を、彼らは備えていたのである。
ミュンヘンのヒーローたちは輝いていた。その輝きは、天賦の才能が自然に溢れたものだと、高校二年生の私は信じていた。そこには努力などという汗くさい要素は、入り込む余地はなかった。
そかし、今思えば、三十年近く前の私の目は、まったくの節穴だった。表面上の華麗さに目を奪われて、それを支えるもの、すなわち努力にはまったく目が向かなかったからである。未熟な私は、努力を超越してこそ天才なのだと信じていた。
「天才とは、一パーセントのひらめき(才能)と、九十九パーセントの汗(努力)からなる」というエジソンの名言は知ってはいたが、それは凡人に対する慰めにすぎないと思い込んでいたのだった。
2 才能は努力によって花開く
この私の思い込みは、社会人になってから大きく揺るがされた。揺るがしたのは、あのゴルフの帝王ジャック・ニクラウスである。NHKのアナウンサー、羽佐間正雄のインタビューに答えて、ニクラウスは次のように語ったという。
そこで、私(羽佐間)は、集中力を生むためには何が重要かを質問した。
「それは、努力です」
日本人と同じようなことを言うなと思いながら、私はさらに聞いた。
「二番目には?」
「二番目に必要なのは、努力ですよ」
「では、三番目は?」
「三番目は努力ですね」
さすがにニクラウスはしたたかである。
ここで引き下がっては並みのインタビューである。私はひるまずに、更に質問を続けた。
「では、四番目は何ですか」
やったニクラウスが、答えを変えた。
「それは、みなさんが想像もできないような努力です。人が考える二倍も三倍もの努力です。それだけの努力を積み重ねてきたら、そこで初めてどんな人もどんなことに対しても、自信のようなものが芽生えてくるはずです。その自信が芽生えた後に、初めて集中心がやってくるんです。自信という裏付けがあって、初めて集中できるようになるんです」
(『実力とは何か』羽佐間正雄 講談社 63~64ページ/カッコ内注釈は渡邊による)
なるほど、先にあげたエジソンの言葉は、単なる慰撫ではなかった。帝王とよばれ、あらゆるタイトルを総なめにしたほど才能に恵まれた男が、これほど努力を強調しているのである。天才は努力の支えがあって、初めて天才たりうるのだ。
これはニクラウスだけに当てはまる話ではない。
そういえば、あの王貞治も現役時代には努力を欠かさなかった。鍛錬が王の生活そのものだったと言ってもいい。コーチ荒川との二人三脚で、あの一本足打法を生み出したことは、つとに有名だが、それを体得するために、畳が擦り切れるまで素振りを繰り返したのだった。
3 努力のありよう
では、彼ら、ヒーローたちは何のために努力するのだろうか。
金か、名誉か、それともまったく別の目的があるのか。いや、目的などないのか。
この問いに対して、明確な答えを返した人物がいる。
あの世界の本塁打王、王貞治である。王は、努力のありようについて、先述の羽佐間とのインタビューの中で、次のように語っている。
「いや、僕は、今言われたような名声や富がほしいと思ってやってきたわけではないんです。この白球をいかにして打つか、自分の生きる道はこれしかないというふうに考えて励んできました。ただ、一心不乱に生きているあいだに、記録を含めてそれらのものが、あとからついてきたにすぎないんです。だから、僕は選手である限り、これを続けるだけですよ」
(前出書 50ページ)
羽佐間正雄『実力とは何か』の中で、王と似たような答えを示した人物は他にもいる。
例えば、エリク・ハイデンである。ハイデンは、1980年のレークプラシッド・オリンピックのスピードスケートで、500メートル、1000メートル、1500メートル、5000メートル、一万メートル、すべての部門で金メダルをさらった。
これは、言うまでもなく、前人未踏の記録である。
このハイデンが、オリンピック後、五個の金メダルの保管場所を尋ねられ、「たしか、ベッドの下にでも置いてあるんじゃないでしょうか」と答えて、インタビュアーの羽佐間を驚かせている。
続けての質問、「あなたにとって、金メダルとは一体何なのか」に対する答えも、それが物静かなものだっただけに、いっそうの迫力を羽佐間に感じさせたらしい。
「僕は金メダルがほしくて練習をしてきたのではないんです。レイクプラシッドで開催されるオリンピックを目標にして、青春の一時期を思い切り燃焼させてみた。幸いなことに、僕は自分の希望をくまなく達成して、五種目に優勝することができた。自分が目標に向かって苦しい練習をしてきたことが実って結果を得たという喜びこそが、僕の青春の証であって、メダルはただそれに付随してきたものにすぎないんです。だから、僕にとって、五個の金メダルは、もちろん価値がないとは言いませんが、あなたが言うような意味での価値観は抱いていません。また、人に見せるために飾っておくべきものでもないんです」
王貞治の求道的な姿勢とは多少の相違があるものの、「努力」の方向性について、二人の考え方には多くの共通点がある。そしてそれは、私たちのイメージにある「努力」とは、微妙に意味が違っているようだ。
私たちは一般に、努力や忍耐や我慢と同義語だととらえがちである。たしかに、そうした側面もあるに違いない。王の言葉はそれを思い起こさせる要素をも含んでいる。けれども、その本質は、もっと別なところにあるのではないか。
少なくとも、天才と呼ばれた人たちは、彼らのエピソードを読む限り、努力と我慢を同義と捉えてはいない。
札幌オリンピックの70メートル級純ジャンプで金メダルを獲得した名ジャンパー、笠谷幸生もそうである。彼の次の言葉は、まさしく努力はどうあるべきかについて、明確な方向性を示している。
「人に『これをやりなさい』と言われてはじめたものは、どんなにきつかろうと、どんなに堪えがたいものであろうと、それは努力とは言えないんじゃないでしょうか。なんでもいい、自分の発想で、『いまから俺はこれをやるぞ』と自分なりの誓いを立ててやったことが、本当の努力だと思うんですね」
(前出書 76ページ)
努力とは主体的、前向きなものだというのだが、大リーグの大打者ピート・ローズも同様のことを言っていた。
「もし、自分がいまやっていることが、食うためだとか、義務でしぶしぶやっているとかいうのであったなら、すぐにやめるべきだ。自分の道はこれしかないと思え。自分でなければこれはできないと信じろ。好きで好きでたまらないと思い込むこと、それがプロ意識だ」
(前出書 36ページ)
これは何もスポーツの世界だけに当てはまるものではない。
学問の世界に置いても、同じような発言をしている人がいる。たとえば、1970年にノーベル生理学・医学賞を受賞したバーナール・カッツである。
彼は「研究は興味深く、面白いからやるんだ」と言っているが、これは「努力」の核心をついた言葉である。
4 誇らず、奢らず、一筋
ヒーローの第一条件は、努力に支えられた真摯さである。
だが、それを自らが好んで口にし、他人に誇るようでは、まだまだ「プロ」とは言えない。
あの長嶋茂雄も現役時代は王に勝るとも劣らない努力を重ねているが、それを自ら口にすることはなかった。その努力の凄まじさは、羽佐間のインタビューを通じて、長嶋が現役を退いた後に、ようやく明らかになった。
これは奥さんから聞いた話だが、彼は、ノーヒット・ノーランで終わった日、悔しさをこらえて帰宅する。あまりものすごい顔をしているので、奥さんは怖くて口もきけない。子供たちも、「お父さんが帰ってきた」と言って出てくるが、父親があまりにも怖い顔をしているので、声もかけずに逃げてしまったという。妻や子には、悲しい職業と映ったかもしれない。
だが、長嶋茂雄は、明日に向かうため、深夜、家族が寝静まったあと、一人でバットを持って庭に出て、暗闇の中で三百回、四百回と素振りをした。
プロ野球の選手として活躍した十七年間に、夜のバットの素振りを休んだのは、わずか一日だったという長嶋の口癖は、「努力は人に見せるものではない」だった。まさにその通りの人生を彼は歩んだことになる。
自分の信じる道を、誇らず、奢らず、一筋に歩む姿は、人々の感動を呼び起こす。
星野富弘が口に絵筆をくわえ、命を刻むように温かい絵を描き出す時、マザー・テレサが難民たちに分け隔てなく救いの手を差し出す時、私たちは言いしれぬ感動に包まれる。
ヒーローとは、決して勝者を意味するのではない。
挫折や困難に向き合い、それを乗り越えるべく努力を重ねる人たち、あるいは何回も敗れながらもチャレンジを続けている人たち。彼らもまた、ヒーローと呼ぶにふさわしい。
つまり、真摯に人生に向き合っている人すべてがヒーローなのである。