ひらがな指導の研究
確かな表記の力を身に付けさせるためには、どうしたらよいのか。ひらがな指導に関する研究をまとめた。
1.1年生国語 最初の指導 ひらがなをどうやって教えるか
世間一般的には、「入学前に、自分の名前が書ければよい」というようによく言われるが、本当であろうか。
1年生国語教科書を開くと、そのような構成になっているとは思えない。
例えば、光村教科書。5月中旬からは、「はなのみち」という物語教材が登場する。
この段階で、文章がすらすら読めるようになることが求められている。
7月には、「すきなもの、おしえて」「てがみをかこう」という作文の学習。
ひらがなの特殊表記をマスターし、文章が書けるようになることが求められている。
4月に入学して、夏休み前には、教科書がこのような状態だ。
入学前、本当に自分の名前しか書けない子が入学してきたら、このスピードに付いてこられるだろうか。
ひらがなは、単に46文字覚えれば、自由に文を表記できるものではない。
そこには、複雑な表記のルールが多く存在する。
例えば、「先生」。子どもたちは「せんせえ」と呼ぶが、表記は「せんせい」である。
ひらがな表記をどうやって教えたらよいか困り、過去の実践記録にあたろうとした。
ところが、きちんとひらがな指導に正対した実践記録がほとんど見あたらない。書籍も少ない。
おそらく現場では、とにかく文を読んだり書いたりするうちに、自然と表記できるようになるという丸暗記主義で授業が行われていることが多いのではないか。
確かに低学年で表記の間違いをしていた子も、学年が進めば、減っていく。
しかし、これは科学的ではないし、効率的な教育ではない。
丸暗記の体力主義だ。
ひらがな指導のヒントを求めて、参考になりそうな文献を集めてみた。
2.音韻意識とかな文字習得の関係
ひらがな指導に関わる本を集めて読んだ。特に参考になったのは、次の3冊である。
・須田清著『かな文字の教え方』
・天野清著『子どものかな文字習得過程』
・長原光児著『障害児に学ぶ文字指導』
わたしたちが、文字を取得するためには、レディネスとして「音節分析能力」が必要であることがわかった。
例えば、「あり」は2つの音、「いるか」は3つの音からできている。
ひらがなは、一音一文字の原則があるので、それぞれ2文字、3文字で表すことになる。
そのことがわからなければ、表記ができない。
清音はもちろん、促音や長音といった複雑な特殊拍を表記するためにも、何拍(※モーラ)かを理解する音節分析能力が欠かせない。
※モーラ(Mora)とは
音韻論上、一定の時間的長さをもった音の分節単位のことである。
音節とは異なり、各言語話者の心理的な印象によって決められる。
全ての言語が音節をもっているが、モーラはもつ言語ともたない言語がある。
日本語の多くの方言がモーラをもち、日本語を仮名書きした時、
「ぁ」「ぃ」「ぅ」「ぇ」「ぉ」「ゃ」「ゅ」「ょ」といった小さい仮名(「っ」を除く)以外、
全ての仮名は、全て基本的に同じ長さで発音される。
この1つの単位がモーラにあたる。
日本語学では一般に「拍(はく)」と言われる。
日本語に特徴的なのは長音「ー」、促音「ッ」、撥音「ン」を1モーラとしている事である。
長音は長母音の後半部分を、促音は長子音の前半部分を切り取ってモーラとし、
撥音は音節末鼻音や鼻母音をモーラとしている。
【例】
「キッチン」は、「キ」「ッ」「チ」「ン」の4モーラであり(2音節)、
「チョコレート」は、「チョ」「コ」「レ」「ー」「ト」の5モーラである(4音節)。
ひらがな習得のための指導法は、大きく音声法と語形法に分けられる。
〈音声法〉 単語を音節に分け、一つひとつ文字をその音節に当てはめていく。
〈語形法〉 ひとかたまりの単語を発音に結びつけていく。
(後者は、大正期にアメリカから入ってきた考え方で、戦後GHQの影響で広まった。「CAT」は、ばらばらに読めばシーエイティーだが、かたまりで読めば、「キャット」である。)
各社の教科書を比較したり、かな文字指導に関する文献をいくつか読んだりしているうちに、指導のポイントが見えてきた。
①音韻意識化指導を行い、子どもの音韻分析能力を高めること。
②ひらがなの学習順は、発音の難易度順を基本とすること。
③特殊拍は、清音や母音と比較させながら、音韻を意識化させること。
4.1年生 国語教科書の歴史
日本の教育史上、最も多くの教育書を書いている向山洋一氏。
数多くの実践を記録として残している。
向山氏がかつて1年生を担任したとき、どのようにひらがな指導をしたのか。
記録を調べてみると、興味深いことが分かった。一部、抜粋する。
〈学年通信「あのね」No.14 向山洋一年齢別実践記録集22巻 P20〉
そして、絵の中に出てくることばを、手をたたきながら言わせる。つまり、音節を意識させることを2時間やることになっている。
〈学年通信「あのね」No.? 向山洋一年齢別実践記録集22巻 P35〉
次のようなことができない場合、ご家庭で少し練習させていただきたいと思います。
A 曲にあわせてのリズム打ち。(せっせっせっ)
B 鉛筆でしっかり線をひくこと。
C わら半紙をきちんと4つにたたむこと
D たおる、ぞうきんをしぼること。
E 「おひや」をちょうだいのように最後まで言うこと。
〈教え方のプロ・向山洋一全集31 P149〉
国語の授業で言葉を教えた。「うま、つくし…」などである。いっぱい言わせた後に、手を打ち
ながらやらせた。たとえば、うまは二回、つくしは三回手をたたくのである。これは言葉の音節
を意識させるためである。二回手をたたく言葉、三回手をたたく言葉をいっぱい出させた後、五
回手をたたく言葉に入った。
ある子が「チュウリップ」と出した。ところがやなた君がこれは「チュウ・リッ・プ」の三回
だと反対した。岡君がこれにも反対で「チュ・ウ・リッ・プ」の4回だと主張した。太宰君が「チ
ュ・ウ・リィ・ッ・プ」の五回だと反論した。賛成、反対がにぎやかに出された。三回という子
が十五人、四回という子が四人、五回という子が十二人であった。同じく「チンパンジー」が五
回か六回でもめた。
結論は出していない。ここから、「つまる音」、「のばす音」などの学習が始まるのである。
明らかに、子どもたちの音韻意識を高めることを重視している。
向山氏も、ひらがな指導の中心は、子どもたちの音韻分析能力を鍛えることを主に考えていたことが、記録からうかがえた。
3.向山洋一氏の実践
3つの考え方がある。
①あいうえお順
②字形がやさしい順
③教科書に出てくる順
1年生の子どもが使うひらがなのワークブックは、どうなっているか。
圧倒的に多いのは、教科書に出てくる順だ。
例えば、光村は「おはよう」という言葉が、一番始めに出てくるので、「お」、「は」、「よ」…の順で、学習するようになっている。
語形法で作られている教科書に準じて作られたワークブックは、発音の難易度も、字形の難易度も、五十音図の原理も、すべて無視して、「お」から学習することになる。
すでに、文字を一通り知っている子なら、「お」から始めてもよいが、ほとんど文字を学ばずに入学してきている子もいると考えれば、これは乱暴のように思える。
初めて文字を教えるなら、もう少し体系的に、そしてやさしい字から教えるべきだ。
わたしが採用した方法は、①~③、どの考え方でもなく、3つを織り交ぜた方法である。
まず、「つくし」の絵を使って、「つ」「く」「し」という字を教えた。
これは、字形がやさしいからだ。どの子にも、「字が書けた」という成功体験をまず与えたかった。
次に、「あいうえお」を教えた。母音は、すべてのかな文字の音を作るもと。「あ」や「お」の字形は難しいが、できるだけ早く教える必要があると考えた。
その後は、教科書に使われていたり、文を書いたりするにあたって、使用頻度が高い字を優先的に教えた。たとえば、「を」や「ん」。あいうえお順では最後だし、字形も難しいが、言葉や文を書く上で、使用頻度が非常に高いので、先に教えた。
さらに、使用するワークブックも重要である。
大まかに、2つのタイプがある。
A バラプリントタイプ
B ノートタイプ
それぞれ、メリットとデメリットがある。
両方使ってみたが、Bタイプの方が効果的でった。
Aタイプ、バラプリントの欠点は、1枚仕上げるのに、時間がかかりすぎることだ。
1年生は、1枚仕上げるのがやっとだ。始めは、30分かかる子もいる。1日1枚やったとしたら、46文字消化するためには、一通りの文字を練習するために、46日必要になる。
しかも、一度の学習で文字が習得できるわけではない。1回の練習量は少なくても、繰り返し同じ字に触れた方が、学習効率は高くなる。
(また、1年生にとっては、毎回プリントを配ったり回収したりすることも労力を要するので、実際の学習時間を浸食することにもなる。)
Bタイプのワークブックで、特に優れていると感じたのは、光村図書の「あかねこ ひらがなのれんしゅう」である。
このワークブックは、一回の練習量は少ないが、
①教科書順、 ②五十音順、 ③絵と言葉、 ④テスト
というように、違ったパターンで、4回以上も文字に触れる構成になっている。
また、1年生は、正しい字形で書くのが難しいが、このワークブックは、字のなぞり練習が多いことも特徴だ。正しい字形を認識できるよう、配慮されている。
AタイプとBタイプを使った年度を比較すると、子どもたちの習得率は、Bタイプの方が高かった。
5.清音46文字は、どの順序で教えるのがよいか
手元に、戦前使われていた1年生の国語教科書がある。
始めに出てくる文は、これだ。
サイタ サイタ サクラ ガ サイタ
後で知ったのだが、これは、昭和8年から15年まで使われた通称「サクラ読本」と呼ばれる教科書であった。(戦前は、カタカナ表記であった。)
では、それより以前はどうなっているのか。調べてみた。
初めて国定教科書が作られたのは、明治37年。最初のページは、次のように変遷していった。
明治37年~明治42年 … 「 イス エダ スズメ イシ 」
明治43年~大正 6年 … 「 ハタ タコ 」
大正 7年~昭和 7年 … 「 ハナ ハト 」
昭和 8年~昭和15年 … 「 サイタ サイタ サクラ ガ サイタ 」
明治に音声法で始まった教科書が、昭和8年以降、語形法に変わったのがわかる。
昭和40年度版の光村教科書から実際に手に取り、頁をめくってみた。
昭和40年版 「 はい せんせい せんせい 」
昭和49年版 「 あさ あさ あかるい あさ 」
昭和52年版 「 きこえる きこえる なみの おと 」
冒頭だけ読むと、あまり変化がないように思える。
(個人的には、「あ」から始まっている昭和49年版が、使いやすく思えた。)
しかし、52年版には、画期的な変化があった。
長音(「おかあさん」「おとうさん」のような伸ばす音)促音(「らっぱ」「きって」のようなつまる音)の練習ページが登場している。
それまでの教科書は、取り立てて、伸ばす音や詰まる音が解説されるようなページがなかった。
そして、昭和55年版には、濁音(が、ざ のような濁る音)と拗音(きゃ、きゅ、きょ のようなねじれた音)のページも加わり、だんだんと充実していくのがわかった。
最初にも述べたが、日本語の文は、かな文字46個を覚えるだけでは、書くことができない。
複雑な音やルールが組み合わされて、初めて書くことができる。
平成17年度版では、以前の国語教科書に比べ、ずっと親切なつくりになった。
・22ページ 「かき と かぎ」 濁音の学習 (濁る音)
・26ページ 「ねこ と ねっこ」 促音の学習 (つまる音)
・28ページ 「ことばをいれて、ぶんをつくろう」 主語を作る助詞の「が」の学習
・42ページ 「おばさん と おばあさん」 長音の学習(伸ばす音)
・52ページ 「はをへ をつかってかこう」 助詞の「は」「を」「へ」の学習
・56ページ 「おもちや と おもちゃ」 拗音の学習(ねじれた音)
※「きょうしつ」という一例だけだが、拗長音も、ここで一緒に取り上げられている。
「お」の長音の覚え方、「遠くの大きな氷の上を多くの狼、十ずつ通った」を開発した教育科学研究会の須田清氏の本、『かな文字の教え方』には、次のようなかな文字指導の段階が書かれいた。
①準備の段階 ・・・ 単語が音節からできていることを知る
②直音(清音)44文字を教える段階
③濁音を教える段階
④促音、長音、拗音、拗長音を教える段階
⑤助詞「は・を・へ」の表記を教える段階 (文法学習)
この本は、昭和42年に出版された本である。
しかし、この本が出版された当時の教科書には、この本のように、体系的にひらがなを教えようという考えがなかった。
52年版の教科書から少しずつ、体系的にひらがなを教えていこうという考え方が取り入れられていったことが、過去の教科書を調べてみてわかった。
6.ひらがな指導のポイントと指導計画
〈ポイント〉
①手拍子で音韻意識指導を行い、子どもの音韻分析能力を高める。
②ひらがなの学習順は、発音の難易度順を基本とする。
③特殊拍(促音「っ」、長音「ー(伸ばす音)」、拗音「ゃゅょ」、拗長音)は、
清音や母音との比較から、音韻の構造を意識化させる。
④特殊表記(「は」と「わ」、「お」と「を」、「え」と「へ」の書き分け】は、
くっつきの助詞シリーズとしてまとめ、子どもたちの印象に残るような指導
(指導者がわざと間違えて、子どもたちとやりとりするなど)を行う。
〈指導計画〉
(1)母音の学習
(音節指導の後、同じ音を探す。
「あり」「あし」ならば、共通する音は「あ」。その後、「あ」のつく言葉探し。)
(2)清音の学習 (音節指導→共通の音の認識→文字指導ひらがなスキル→言葉探し)
(3)濁音の学習 (表記を【手裏剣文字】で指導。清音との対比「からす」と「がらす」で指導。)
(4)促音の学習 (手拍子で「こっぷ」は何回叩くか。清音との対比「ねこ」「ねっこ」。【つっくん】)
(5)五十音表の学習(【ひらがなまんしょん】で指導。母音をお母さん。子音を子どもたちとする。
縦横斜めからの言葉探しは、子どもたちが熱中する。)
(6)長音の学習 (【ひらがなまんしょん】お母さんを使って。 (本時)
(7)拗音の学習 (おもちやとおもちゃの比較。手拍子で何回手を叩くか。
(8)拗長音の学習(「ちゅうりっぷ」は、何回手を叩くか。)
(9)助詞表記の学習
・「は」の授業 (「は」と書いたカードをもって動作。せんせいは、おとこです。)
・くっつきの「を」の授業(※向山洋一氏の実践 全集5巻収録)
・「へ」の授業(行きたい方向を指さし、指を曲げて「へ」を作る。)
実際は、上記の通りではなく、教科書の順番に準じたところもある。
しかし、ひらがな指導の体系については、いつも意識するようにした。