後藤新平~リーダーに必要な力とは何か?~
後藤新平の生き方を通して、リーダーに必要な力とは何かを考えさせる授業のシナリオです。

東日本大震災にあって大変な思いをした日本だが、必ず復興することができる。
計画的な復興には、すぐれたリーダーが必要である。
この授業では、過去の関東大震災の時の「帝都復興への道筋」をたどりながら、復興という大きなテーマではあるが、子どもたちの身近な行動へも落ちるようにしたい。
「困難に立ち向かう力、行動力」の大切さや「仲間を信頼し任せ、認め合うこと」の大切さを考えさせたい。
これは、ある新内閣ができたときの様子です。(写真1)
真っ暗な中、ろうそくの火のもと、スタートしました。
これは、ある災害直後の出来事です。(写真2)
ある災害とは何でしょう?
(指名し、聞く)
1923年 関東大震災が起こりました。
今日は、当時の内務大臣「後藤新平」のお話です。
言ってみましょう「後藤新平」
後藤は、焼け野原となった東京復興のリーダーとなりました。
あだ名は、大風呂敷
「大風呂敷」ってどんな意味でしょうか?
(指名し、聞く)
「できそうもないことを考える」ことを大風呂敷と言います。
どんなことをしたのか。
後藤の考えた復興のための予算は、30億円。
今のお金で15兆円。
国家予算と言って、国が1年で使うお金の約2倍でした。
こんなお金あると思いますか?(聞く)
そうですよね。
周りからも大反対にあい、予算は、5億円に減らされました。
後藤をどう思いますか?
ノートに書きましょう。(聞く)
後藤は、できそうもない大風呂敷なやつ!と批判されたのです。
なぜ、そんなにお金がかかると考えたのか?
震災の被害の多くは、火災でした。
東京の約45%が消失。
火災の原因の一つが狭い路地にありました。
道を広くすることで、火災に強い街にしたい。
でも、それには、困難なことがありました。
計画を進めるのに、困難なこととは、何でしょう?
隣近所で話し合ってご覧なさい。(聞く)
道を広くするには、土地を買い上げなくてはいけない。
お金がかかるのです。
合い言葉は、「復旧ではなく復興」
元に戻すのではなく、東京を防災としに進化させることが目標でした。
気がつけば、後藤は、震災の起きたその夜から43日間、
1日3時間の睡眠で、1度も寝床に入らず活動し続けました。
その結果、現在の内堀(靖国)、昭和通りなどの幹線道路は、
この時に作られました。
このようだった永代橋も3年後には、この通り完成しました。
後藤は、どんなリーダーだと思いますか?
ノートに書きましょう。(聞く)
困難に立ち向かう力と行動力があったと言えますね。
このような復興は、一人ではできません。
支えたスタッフがいました。
十河信二(そごうしんじ)。
新幹線の父と言われ、
鉄道で力を発揮しました。
佐野利器(さのとしかた)
東京駅の設計など
耐震構造の祖と言われています。
後藤は、スタッフにこのように言いました。
何をするかということはそっちで考えろ。
このように言われたら、どうですか?
(何人か指名)
スタッフは、こう思いました。
よし、あらん限りの力を出して、お勤めしてみよう。
後藤には、仲間を信頼し任せる、判断力があったといえます。
さらに後藤は晩年、ボーイスカウト連盟の会長となり、自治の精神をモットーとしました。
自治の精神とは、
人のお世話にならぬよう、
人のお世話をするよう、
そして、
□を求めぬよう
□には、どんな言葉が入るでしょう?
「報い」という言葉が入ります。
「人のために働くことの大切さ」
そして、「働いたことへのご褒美などを求めないこと」
これは、「利他の心」です。
そう言って、教育にも力を入れたのです。
最後に、後藤は、こんな言葉を残しています。
「 金を残すは、 下
仕事を残すは、中
□を残すは、 上 」
□には、何が入るでしょう?
□には、人が入ります。
自分の夢や志を次の世代に引き継ぐことを考えていたのです。
焼け野原だった東京も、約7年間で復興へと導きました。
神戸の復興が10年かかったことを考えると異例の速さだったといえます。
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