【部活動指導】「部活を辞めたい」と言ってきたらどうするか
部活動指導につきものの「辞めたい」への指導、対応。生徒がそれを申し出てきたときに対応するのは当然だが、先生も疲弊する指導となる。必要なのは「入部前から布石を打つ」ことだ。
必ず来る「辞めたくなるとき」。入部前から布石を打つ。
1.どの子にも「辞めたくなるとき」は、来る。
毎年、3年生が引退するときに「部を辞めたいと思ったことがある人?」と聞く。
すると、全員が手を挙げる(たまに手を挙げない子もいるが、それは幸せだ)。
学校に足が向かなくなるほど悩んだ子もいれば、ちょっと思っただけという子もいるが、原因はほぼ100%「人間関係の悩み」だ。
いろんな人間が集まった集団の中で約2年半過ごす間、一度も悩まない、というのは大人であっても誰もができることではない。程度の差はあれ、どの子にも「辞めたくなるとき」は、やって来る。
もちろん、辞めたくなるときはあるものだから仕方ない、と言っているのではない。
なぜなら、先の質問に続いて、「では、辞めないで続けてきて良かったと思う人?」と聞くと、これも全員が手を挙げるからである。
2.「辞めたい」と言いに来てしまったら。
「部活を辞めたいんですけど…」と生徒が訴えて来たときには、事態は相当に進行している。
先生に「辞めたい」とまで言いに来るのはそれなりの勇気がいる。友達や先輩の力を借り、生徒同士で何とかしようとしてもだめだった、ということの表れだ。
ただちに事情を聞く。
人間関係がもつれている場合がほとんどだから、当事者一人ひとりに話を聞き、教師が仲介役となってお互いの気持ちや言い分を伝え合う。
ここで言う「仲介役」とは、まさしく伝書バトのように、生徒と生徒の間を行き来することを言う。
生徒同士を会わせるのは後からだ。まずは教師が状況を把握することだ。そこから、どうしたらよいかも見えてくる。
最悪なのは、もつれている生徒同士をいきなり一緒に呼んだり、話し合わせたりすることだ。
たいがいうまくいかない。悪化することさえ、ままある。
だから教師が仲介役となり、平等な立場から互いの気持ちをわかり合えるように「導く」。
生徒同士の人間関係のもつれは、「どちらかが100%圧倒的に悪い」というケースは稀だ。
50対50も90対10もあり得るが、基本は最初から「訴えて来た生徒の味方」になってはいけない、ということだ。
名前を挙げられた生徒が心を閉じてしまうからだ。
始めは教師の主観を入れずに平等に仲介する。そうすることで状況もつかめ、指導すべき的が絞れて、話をしてやることもできる。
そして、もう大丈夫かなと思えるほどにほぐれてきてから、生徒同士で話し合わせる。あとは信じるだけだ。
このような人間関係のもつれを仲介するのは、教師としても楽しいものではない。私はいつも気が重い。
しかし、仲介という形で付き合ってやってうまくいった場合、生徒の心はぐっとこちらに近づく。これがうれしい。
あまりうまくいかなくても「先生はがんばってくれた」という思いは残せる。
「自分たちで何とかしろ!」などと突き放して悪化するよりも、はるかにいい。
ただし、ここまで述べてきたことはすべて「事後指導」である。では、事前にできることとは…。
3.入部前から布石を打つ。
私は吹奏楽部を担当しているが、毎年、入部希望の新入生たちに「入部するのは、やめておきなさい」と言う。
せっかく目を輝かせて入部希望している新入生に「やめておきなさい」だなんてとんでもない、と思われるかもしれないが、大筋、次のように語るのである。
「入部したら楽しいことばかりじゃない。先輩後輩同級生との人間関係や、楽器のことで、つらいことや悩むことも絶対ある。辞めたくなることも絶対ある。それで途中でやめるなら、始めから入ってこないでほしい。途中でやめると、君も周りも傷つくから。でも、『どんなことがあっても、絶対に続ける!』……そういう強い気持ちを持てる子は、入部しなさい。歓迎します! ちょっとでも自信を持てない人は、今のうちにやめておきなさい。」
このような語りを、かなり力を入れて行う。
語る際には、部活動通信として文章化したものを配付もする。これを用いて語るのである。
「途中でやめるのはなぜいけないのか」を、心情面や吹奏楽部のしくみの面からさらにいくつか語っている。
例えば以下のような文章である。
【新入部員の君たちへ】
「部活動」という新しい世界に希望して入ってきた君たちに、大事な話がある。これから未来の話だ。
部活動の2年半は、楽しいことばかりではない。
先輩後輩同級生との人間関係や、楽器が上手くならないなど、つらいことや悩むこともたくさんある。
やめたいと思うこともある。
それでも、どんなことがあっても、絶対に吹奏楽をやる、やり続ける!
……そういう強い気持ちを持てる子は、がんばりなさい。歓迎します。
こういう気持ちを持てない人は、まだ今のうちに、やめておきなさい。
新しく入ってきた1年生に「やめておきなさい」なんて、変な先生だと思うだろうが、
それには次の事情がある。
運動部では、レギュラーに入れない(試合に出られない)ことがある。3年になっても出られない人もいる。
吹奏楽部は、「全員レギュラー」だ。1年生から、全員が、ステージに乗るんだ。「補欠」は無い。
そんな吹奏楽部には、たくさんのパート(同じ楽器の集まり)がある。
人が多すぎたりいなかったりすると演奏がうまくいかないから、それぞれのパートに入る人数は決まっている。
君たちは、いくつか希望パートを選んで、自分が選んだどれかに入ることができた。
このように、決まった人数をパートに入れるから、
途中でやめられると、その楽器をやる人が足りなくなってしまうんだ。
君がいなくなったぶんはどうしたらいいのか。君は代わりに誰かを連れてきてくれるのか。
…そんなことはできないだろう。いなくなったらいなくなったままになってしまうのである。
だから、「絶対続ける」という強い気持ちが必要なんだ。
反対に、「途中でやめる」ということは、次のようなことなんだよ。
誰も君に吹奏楽部に入ってくださいと頼んでいない。自分で決めて入部した。…それなのに、やめる。
他にもその楽器をやりたい人はいる。その中から君は選ばれた。…それなのに、やめる。
自分の入りたい部に入って、自分の選んだパートに入った。思いは叶えられた。…それなのに、やめる。
先輩たちは、君を上手にするために自分の練習時間を削って教えてくれてきた。…それなのに、やめる。
君がいなくなったぶん、音が足りなくなる。残された人たちが苦労させられる。…それなのに、やめる。
君がいなくなったら、次の新入生は教えてくれる人がいない。未来まで迷惑がかかる。…それなのに、やめる。
だから、途中でやめるなら、はじめから入らないほうがいい。
「途中でやめる」と、本人も周りも傷つくから。
もちろん、「絶対続ける」という強い気持ちを持って入ってくれば、
3年間で、吹奏楽部じゃなければできない学びや思い出を、山ほど手に入れることができる。
しかも「全員レギュラー」だから、「全員」手に入れることができる。
「絶対続ける」という強い気持ちを持てる人は、どうぞ、がんばりなさい。歓迎します!
この通信がそのまま保護者の手に渡れば、保護者にも方針を発信することができる。
そして正式入部が近づいてきたら、さらに手を打つ。
個人面談の形にして一人ひとりに再び語り、本当に「絶対に続ける強い気持ち」を持てるかを確認していく。
ここまで「大変なこともあるぞ」「絶対に続ける強い気持ちが持てないならやめておきなさいよ」と念を押したうえで、入部させる。
これほど念を押しても、不思議と「じゃあ入部やめます」という生徒はいない。私の場合、今までに一人もいなかった。
こうして、
「やめておきなさいという反対を押し切って、自分の意志で入部した」
という「前提」を、これでもかと作っておくのである。
この語りと発信は、入部後も折にふれて行う。
「辞めたい」が出たときのみならず、生徒が部活に対して弱気になったとき、この「前提」は、教師の指導にも、生徒自身にも、強力に生きてくる。
辞めないで続けた子にだけ、わかることがある。気づけることがある。学べることがある。
入部してきた生徒をそこまで導くことこそ、教育であると思う。